12の公用語が並ぶ国の、いくつもの「それぞれの歴史」を、架空のキャラクターたちと一緒に。
南アの地理・産業・公用語をざっとおさらいし、アフリカーンス語の成り立ちと基礎挨拶を学ぶ
ヨーロッパ人が来る「前」の南アフリカ。狩猟採集のサン人、牧畜のコイコイ人、鉄器農耕のバントゥー系民族の3つの暮らしを、それぞれの視点で覗いていく
オランダ東インド会社の補給基地が、200年かけてブール人共和国の成立に至るまで。奴隷・入植者・先住民の言葉が植民地の調理場で混ざりあい、アフリカーンス語が「キッチンの言葉」として生まれた。過去形(het + ge-)を使って、その長い長い過去を語っていく。
ブール人が内陸に2つの共和国を建てた直後、その土地の下にダイヤモンドと金が見つかった。英帝国はそれを奪いに来た。3年に及ぶ戦争、焦土作戦、強制収容所、約2.6万人のブール人女性子供と少なくとも2万人の黒人の死、この敗戦の屈辱が、20世紀のアフリカーナー民族主義とアパルトヘイトの心理的下地を作る。
アパルトヘイト体制は半世紀近く続いた。その間に冷戦は始まり、終わった。
だから一括りにせず、10年ごとに「内部の力学」と「国際情勢」の両方から見ていく。
1910年、4つの植民地が「南アフリカ連邦」として一つになった。だが議会には黒人代表はいなかった。1913年原住民土地法は国土の7%に黒人を押し込めた。二度の世界大戦が白人内部の分断を露わにし、「貧しい白人問題」がアフリカーナー民族主義の燃料となる。1948年5月、国民党は「Apartheid」を掲げて勝利する、分離の設計図が完成した日。
1948年5月、選挙で勝った国民党は、たった11年で「Apartheid」を200本以上の法律体系に変えた。人口登録法は人々を「人種」に分類し、集団地域法は街を引き裂き、雑婚禁止法は家族を違法にし、バンツー教育法は黒人の学校から数学と科学を奪った。ソフィアタウンが消え、ANC は Defiance Campaign と Freedom Charter で応えた。「合理的な分離」を信じた側と、その合理が踏みつぶした人生の両方から見る11年。
1960年3月21日、シャープビルで警察が69人を撃ち殺した。ANC と PAC は4月に非合法化され、抵抗運動は地下化した。同じ年、マクミラン英首相は「変化の風がアフリカ大陸に吹いている」と演説し、17のアフリカ国家が独立した。1961年、南アは英連邦を離脱して共和国となり、その年の12月16日(先祖の日)、Umkhonto we Sizwe(民族の槍、MK)が「もう請願はしない」と宣言した。1962年マンデラ逮捕、1963年リヴォニア家宅捜索、1964年「I am prepared to die」演説、そして終身刑。1966年 Verwoerd は議会で刺殺された。冷戦の最前線で、南アは「反共の砦」として西側に黙認された10年。
ロベン島の囚人が沈黙する間に、若い世代が新しい思想。「黒人意識(Black Consciousness)」を発見する。Steve Biko、SASO(南アフリカ学生組織)議長、医学生、30歳。彼は「白人にも黒人にも依存するな、自分自身を解放しろ」と説いた。1974年、ポルトガル革命でモザンビーク・アンゴラが独立し、「白人緩衝地帯」が消滅。同年、Bantu 教育省は「黒人学校で半数の科目をアフリカーンス語で教えよ」と命令。子どもたちは「これは抑圧者の言語だ」と拒否し、1976年6月16日朝、ソウェトの2万人の中学生が行進した。13歳の Hector Pieterson が最初に撃たれ、写真が世界に流れた。1年後、1977年9月12日、Biko は警察拘束中に殴打死。検視官は「自然死」と裁定。これが国際社会の堪忍袋を切らせた。文法面では、Biko と子どもたちの叫び声を再現するために、直接話法(sê: "...")と前置強調(V2 倒置)を学ぶ。
1980年代、アパルトヘイト体制は「総攻撃」と「総改革」を同時に試みて両方失敗した。Vaal Uprising、非常事態宣言、Rubicon 演説の失敗、Chase Manhattan ショック、1987年選挙での保守派台頭、CAAA 1986、表で強硬路線を保ちつつ、裏で1985年11月から始まる秘密交渉が1990年2月の扉を開く。文法は反実仮想 as + sou と接続法的祈願 mag。
1990年2月11日マンデラ釈放から1999年退任まで。CODESA、Boipatong、Hani 暗殺、Sunset Clauses、1994年初の全人種選挙、新憲法、TRC、そして同じ1996年の GEAR 新自由主義転換。「虹の国」の祝祭が、Mamdani の問い「恩赦か免罪か」を残す10年。文法は間接話法と分裂文 Dit is X wat Y。
1994年の「虹の国」誕生から30年。第10章では Born Free 世代・BEE 後の新興エリート・移民・農場主の4視点で「虹」の現実を聞き、
最終章(エピローグ)では過去章キャラの子孫世代と言語学者が「アフリカーンス語は誰のものか」を問い直す。
文法は「問う」へ。疑問詞のある疑問文 (wh-questions) と、ない疑問文 (polar-questions)を第10章で新導入、比較級・最上級も再活性化する。
1994年の就任から30年。Born Free 世代、BEE 後の新興エリート、ソマリア移民、北西州の農場主、「虹の国」の現実を、街頭の問いかけを通して聞いていく章。「失業率はいくつ?」「BEE は誰のもの?」「土地は誰のもの?」 疑問詞のある/ない疑問文と、比較級・最上級が今回の文法装置。
最終章は、アフリカーンス語そのものが問われる時代の話。#AfrikaansMustFall (2015)、Open Stellenbosch、2019 年 Gelyke Kanse 判決、Bo-Kaap の Kaaps、Adam Small の詩、1856 年に Abu Bakr Effendi が残したアラビア文字アフリカーンス語写本。「Kombuistaal(台所の言葉)」と蔑まれた言語が、いま「誰の台所」に帰属するのかを、子孫世代と言語学者が問い直す。
※ 本ゲームは教育目的の二次加工コンテンツです。記述に誤りを発見した方は教えてください。